短編②

奴です。できたら毎週月曜に上げられたらと思います。

主題から逸れた感がありますが


『背の高い女』


 まえがき


本書は、まったくの異世界における出来事の現地語による記述を、あえて我々の知りうる言語へと試みに翻訳しようというものである。江戸時代の日本が、鎖国下においてなお蘭学を学び続け、そこには多数の困難があったように、本書の制作にあたっては、過小な文献からさまざまな推測を働かせることが要求され、あるときには一文の吟味に、さらに言えば一語の吟味に、多大なる時間を費やした。しかし我々はそれを無駄とは決して考えない。いかにも我々の言語に似つかわしい構造を取りながら、しかし当然と同じ語源を有する語句はありえないこの「異世界語」は、個人による人工言語とするにはきわめて「現実的」で、たとえばエスペラントよりもはるかに多くの不規則な文法や語形変化を有し、トキ・ポナよりもはるかに多くの語彙を有するが、一方で我々の世界において完全な修得者および母語話者は存在しない。そうしたある種の不気味さを抱えながら、この語は実用的であることを確からしくしている。

 我々に与えられた文献は、本原著と、原著と差のない時代に著された(と推測される)二冊の小説と、新書と雑誌が一冊ずつであった。むろん、この区分も我々の形式に当てはめてあるから、この五冊の分類が、実際には別であることも考えられる。そしてまた、小説(と我々が推定した本)のうちの一冊は、著者による特殊な言い回しか、あるいは過度な省略や語形の短縮により、その意を十分に解しえなかった。とはいえ文法および語句の理解には、よく寄与している。検討会において、その特殊性から研究に値するものと考えるものもあったが、いまだ資料が足りない感が強く、またどれほど願おうともさらなる資料の獲得を予見しがたいために、それ以上の研究は困難なままである。ここにおいて当初の段階でより多くの資料を得られなかったことが悔やまれる。なおこの際、とくに一言すべきは、発音の手がかりが皆無であることによる、固有名詞と思われる語句の訳出の困苦である。雑誌(と推定される絵写真の多分に含まれる冊子)においては、驚いた表情で口をすぼめる者の顔写真に添えられた吹き出しに書かれた文字から、それが/u/と発音すると考えられるほかは、もっともらしい判断のできない文字ばかりであり、研究の際には、あえて一字ごとに暫定的な音を与えていた。しかし、それはあまりにも恣意的な行為であり、討議の利便を求めただけであったから、本書においては、その固有名詞の語源となった単語をもとに普通名詞のように訳してある。ただし、実際の普通名詞との混同を避けるため、かぎかっこ“「」”でくくった。また、いくら検討してもその語源すら知りえなかった固有名詞については、後に紹介する相澤氏の助言により現地の発音が知れたものについてはカタカナで、知れなかったものについては伏字で表すこととする。

 しかし我々は手に入れたまったく少ない文献のうちの一冊を、その不断の努力によってついに邦訳しえた。それは言語学研究のある面における一勝利であり、ここに携わったすべての者の尽力が報われた瞬間でもあった。そのため、本書の前書きにおいて、ぜひ協力者の全員の名前を書き記すことでその慰労と換えたい。

 なお註釈を同じ一冊のうちに記載するかは、その膨大さによって長らく議論されたが、とうとうすべてを記載することと決まった。言語への関心が強い読者諸君は、注釈までをもよく読み通すことで、未知の言語に対する憧れや、関係者の忍苦を感じてほしい。そしてその忍苦の結実によって著された本書が、ついに他者の目に触れることとなった事実から、避けがたくその成功を知ってほしいのである。

 

  宇品 正美  新京大学教授

  宇田野 一  中府大学教授

  今野 武夫  修文大学教授

  迫村多喜二  国立人文科学研究院言語学研究室副室長

  須田  健  平山学院大学教授、野井山大学名誉教授

  松  久子  鴻島女子大学教授              (五十音順、敬称略) 


 このうち、言語分析のみならず、邦訳作業を主導された今野武夫氏に格別の感謝の意を表したい。氏のただならない努力の末、我々は予定よりも早い進行で作業ができた。氏の力なくしては、達成までにどれほどの歳月を要したか計り知れない。

 また、最後に、本原著およびその他の我々が得たすべての文献を一人で獲得し、さらにきわめて優れた保存状態で持ち帰ってくれた相澤忠之氏のとてつもない苦労と、後の研究へのご教示は、いくら感謝の字句を書いても足りないことだろう。氏の果敢な挑戦がなければ、我々はもはや異世界の存在をも夢物語に留めていただろうことは、とりわけ強調したい。

 

                                  神田 大


 

 「背の高い女」


 「広野の人」はいつの日からか、庭を散歩する癖がついていた。それは母「背の高い女」に就寝のキスを頬へ受けた後の、きっかり三十分だけ経った深夜から始まった。町の会合所からまだ声がした。この「木々の」町の会合所でひとたび人が集まると、いつまでだか騒ぎ声が絶えなかった。「広野の人」はまだまどろみへの底知れぬ恐怖を手放したばかりの幼い人で、もはや夜というものが、いったいいかにして過ぎるか、すこしも知らなかった。そしてまたこの散歩は、母や父「聖典を抱きながら」の知るところではなかった。

 しかし夜は何と静かだろう! 「広野の人」はいつになくはっきりと草を踏む音を聞いた。自分の硬いテイェヌ靴(註:特殊な材質の、一般的な靴)が無遠慮に草を潰し、あるいは擦切るのが、手にした明かりの下で見えた。空にある大きな明かりよりもはるかに矮小な明かりによって、むしろ複雑な陰影が足元に作られる。それに心を引き付けられるのだった。

 とはいえやはり「広野の人」は子供であって、家を一周としないうちに眠たくなった。もうまどろむ感覚には慣れているから、ただ眠ろうと思えるのだった。

 家に入る前に明かりを消すと、突然と自身が闇に溶けたようでそれだけが恐ろしかった。

「広野の人」はまったく明かりのない廊下を自室まで、眠りの波に身を濡らし揺すぶられながら歩いた。父母の部屋が幾分か離れたところにあるとはいえ、夜の彷徨をいつ知られるかわからない恐ろしさから、しかしそれよりも弥増さる暗闇への憧れから、彼女はティエヌ靴が床を鳴らす音をつとめて抹消して歩いた。わが意識が(睡魔に襲われながらに)絶えずあり、それにもかかわらず闇の中では鏡にもみずからの目にも映らないわが身を、「広野の人」は服の上からさすって、はじめてそのいまだ消えざるを感じるのだった。私はここにいるのだろうか、と思った。あるいは肌に触れる感覚は幻かもしれない。濃い眠気が体に満ちる感覚を思うと、夢であってもおかしくはなかった。私は今、どこにもいないのだろうか? それとも、私という意識が(おそらく)あるうえは、変わらず私は“ここにいる”だろうか? いつか父母に尋ねてみたかった、闇にまぎれた我々は、存在しうるか、否か。

 しかし朝は、ひとたび眠るとおそろしい速度で到来する! 父「聖典を抱きながら」が彼女を起こしに来た。闇の底から持ち上がる感覚の後で、突如明るみが目前に現れた。というのはまったく閉め切られたカーテンを「聖典を抱きながら」がすっかり開け放ってしまったからであったが、それがたとえば今まで潜り込んでいた無意識化の闇や、眠りの前に周囲にあった(はずの)闇とはあまりにかけ離れた、いかにも正反対な姿であるあまり、「広野の人」は自分でもなぜだかわからないほど驚くのだった。“私がここにいる”と彼女は思った。それから“私がある”と考えてみた。窓のそばにある椅子に父が座って、そこにある本だの筆記具だのをいじっている。“彼もまたある”と「広野の人」は思ってみた。そうなると目に見えるあらゆるものに対して“ある”とか“いる”とかの評価が付されるわけで、まだ体のごく表面にすら甘い眠気の残っている彼女は、その深遠さに以前に闇や睡眠に対して感じたような恐怖を抱いた。“ある”“いる”とは何だろう? これが目下の彼女の出すべき(だと彼女が感じた)課題だった。

 母「背の高い女」の作った朝食を食べながら彼女はそのことを考えた。純粋な疑問として親に投げかけるべきか、いまひとつはっきりしない不可思議を、彼女はいつまでも胸に空転させていた。彼女はまだ幼かった。いかにしても答えは出ず、一方で存在への恐怖だけが増すのだ。たとえば、と彼女は思った、私が今食べている炒り卵と野菜も存在している。

「早く食べなさい」と父が言った。



 母「背の高い女」が娘の髪を指先で器用に結び、小さな花飾りをあしらう間も、やはり彼女は同じことを考えた。母の鼻歌を耳にしながら。

 「今日はどこかへ行きましょう」と母が言った。

 「うん」

 「どこがいい?」

 「どこだろう」と彼女は言った。どこへ行こうと構わなかった。というのは彼女がはじめてといってよいような思索に耽り、大事なのはどこに行きつくかではなくどれだけ歩けるか、歩きながらに考えられるかだからである。そしてまた、こうした散歩はひどく離れたどこかを目的地に定めることが多かった。

 「できた」と言って母が彼女の頭を撫でた。見事に結われた深紅の髪は、まさしく母由来の美しい髪の毛だった。

 「湖へ行きましょう」と母が言った。

 散歩が決まると、二人は外行きの服に着替えた後で昼食を袋に入れた。父「聖典を抱きながら」は仕事のために今回ばかりは来られなかった。母が恐ろしく長い指で昼食を詰める様子を、ダイニング・テーブルの椅子に座って彼女は見た。母は自分のために用意された天井の高い台所で、それでもなお窮屈に動いている。今でも体は成長し続けているらしかった。以前は膝立ちになれば立ったままの娘の髪を結えたのに、今では彼女に高い椅子に座ってもらわなければならないのだ。しかし毎朝の日課である結髪のために二人は顔をそばに近づけて睦まじく言葉を交わした。

 ただ外を歩くときにはそうはいかなかった。「広野の人」を縦に何人並べても足りないほど背の高い母と彼女とでは、横並びに歩くときすこしも会話できないのだった。あたりに生えているティエヌの樹は本来なら強い日射から道行く人を守るためにあるはずだが、あまりに背が高いために彼女はその林冠より上に胸があり、避けがたく日の光を受けた。日傘はむろんある。夫が特注した、持ち手に美しい○○調の彫刻があしらわれたこの日傘は、父や、もちろん娘には大きすぎて、簡易な家のように見えた。

 「広野の人」はその林道を歩く間、ただ母の恐ろしく細い脚を眺めた。母の足は時折りの散歩以外には出歩かないために日射というものに蒙く、そのうえ常に(あるいはほとんど常に)丈の長い服で覆い隠されていた。だからきっと白いはずであった、というのは「背の高い女」は一人で入浴しているから、「広野の人」が十分に分別のつくようになったころ、もう彼女の裸体というものをすこしも知りえなかったし、もとより記憶もなかった。頭上では葉擦れの音がする。母の異常なほど細い体のもっとも細いようなくびれのあたりが、そばの枝葉を揺らして娘のところへ新緑の葉を落とした。娘はその一枚の空に舞っているものを取った、母からのささやかな贈り物と思って。

 決して背が高いわけではない娘は母の顔を見上げようとした。林冠の枝葉の間隙から日の光とともに垣間見えるような母の顔があった。けれどあまり高くにあるばかりにいったいいかな表情でいるのかわからなかった。それがどことなく寂しくて、「広野の人」は手にした葉を、葉柄を軸にしてくるくる回していた。いったいいつから散歩の途中で母と話さなくなっただろう? 私の覚えている限りでは、と「広野の人」は当てもなく顧みた、母はもうすこし背が低かったのだ。すくなくとも樹を突き抜けるほどではなかったと思う。今でも私は小さいままだけれど、そのころの私は随分と小さかったから、じきに大樹をも越しそうな背丈の母がひどく大きく見えたのだが、今では何の誇張もなく、そのころの比にならないほどになってしまった。たとえば母についてどのくらい大きくなったと父は言うだろう? 昔の母二人分だとでも言うだろうか? 「広野の人」は苦笑した。私がすこし大きくなる間に、母は倍になってしまった!

 林道は湖まで延々と絶え間なく、周囲の景色ばかり小川だの畑だのと変化した。そのときに匂う水の香りや土の香りは、ティエヌの葉の香りの合間にごくわずかに嗅がれた。その道が途絶えるととともに湖に出ると、二人は湖畔をまた黙って歩き回った。風にたゆたう水面の幻のような音のそばに、母の艶やかな色合いのティエヌ靴の堅い音がした。「広野の人」はいまだにその葉を手放さなかった。

 「ここにしましょう」と不意に母の声が聞こえた。

 そこは芝の生える小広い平原だった。ところどころにイェーウウィ(註:ユリに似た白い花)が咲き、その甘い香りがした。林道の美しい並をはっきり映し出す湖を前に二人は座り込み、昼食をとることにした。「広野の人」はここでその葉を捨てた。

 「座っていいのに」と母が言った。娘はわざと立って食べていたのだ。

 「お母さんと話したいから」と娘は言った。

 母は微笑した。それでも二人にはあきらかな身長の差があり、傍目には彼女たちがたしかな母子とは知れないだろう。

 母はその大きな手で娘を撫でた。彼女の上半身をほとんど包むほど大きな手のひらで背をさすり、大きく細長い指ふたつで頭を撫でた。文字通りに手の上で踊ることすらできるだろう母「背の高い女」の手のひらは、最近はよく娘の読書する場所のひとつとなっていた。そのときしばしば「広野の人」は母に自分が重たくはないかと尋ね尋ねした。彼女はただ静かに首を振るだけである。

 今度も同じような問答を含むやりとりがあり、「広野の人」は母の手のひらの上に上半身を預けて横になった。尻を触る芝の柔らかい感触と、それとは別な調子の母の手の柔らかい感触とを同時に体感しながら、鏡面のごとき湖に映るそばの木並を眺めた。水気ある冷たい空気が流れている。

 この地方にはいくつもの湖があって、二人はここのほかにもいたるところに出向いた。林道の道半ばに不意に現れるものや、その終点に広がるもの、あるいは林道からまったく離れたところのもの……湖が彼女ら二人の憩いの場であるのは言うまでもなく、さらに言えばすべての人にとっての癒しであった。それゆえそれらは長い年月の末にもある種の神秘性に彩られた美しさがあって、時季により容貌を変えていくさまを多様な言葉やほかのやり方で表した。今、母が絵に描きだそうとしているのもそのひとつである。

 母「背の高い女」が紙と鉛筆を取り出して、器用に片手で風景を描いている間、娘は母の指にすがりながら朝に抱いた疑問をもう一度考えようとした。つまり、“ある”とは何か、あるいは、“いる”とは何か。何かはっきりした違いがあると「広野の人」は思った。それはその場で名状しうる簡単な区別というよりは、むしろ言語の領域外にある、唯一感性だけで捉えうる区別である。彼女はそこにそれ自体すら名状しがたい妙なもどかしさを感じた。彼女自身はそれが解消されないから、目の前で光を撥ねる湖の美麗な顔をすこしも見据えていなかった。

 そして反対に、母はそのきらめきをも絵に落とし込もうとしていた。湖底まで見通すような、凪ぎながらに看破する鋭さのある目に、湖面が映っていた。



(母「背の高い女」と思われる人物が、湖面にたゆたっている挿絵)



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